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読売新聞の『日本の知力』(科学で考える)の連載に、将棋棋士羽生氏が語った次の様な記事があった。 「将棋は一局面に、平均して80ほどの指し手の候補がある。すべてを考える時間はなく、 まず『直観』を使う。その直観で2〜3手に絞り、次に具体的な手を深く読む。 さらに『大局観』も使う。盤面を一枚の絵の様に眺める力だ。これで全体の方向性を決め、 流れや戦略を決める」という。 また、「ここで言う『直観』とは、大脳皮質が担う意識的な思考は、洗練され、体得されると、情報は小脳や大脳基底核などの脳の深部に潜り蓄積され、必要な時に無意識に、かつ、効率的にアクセスされる。最初は考えながらだが、慣れれば体が覚えて自動化される。これが即ち直観である」というのだ。 話は将棋の世界での内容になってはいるが、読んでいて多分に人間のあらゆる行動パターンに当てはめ得るものだと感じた。 つまり、その行動が過去の経験から洗練され、体得された物となっていれば、直観が働く様になり、瞬時に問題の状況を大局的に、かつ、具体的に把握し、無意識のうちに方策を選定して自動的に行動に移せる、ということだろう。 これは登山での行動パターンにも勿論言えることだ。 山を始めて1年目、山行回数7回目に、この畦ケ丸に登った。台風通過の大雨の直後でもあり、今回の様には踏跡もはっきりしていなかった。それより何より山慣れしていなかった性もあって、ステロー沢の上流だったと思うが、ルート(踏跡)を見失い、十数分間ウロウロしたことがあった。結局は踏跡を再発見して事なきを得たが、その時の山行記録の「反省事項」に次の様なコメントが書かれている。 「ロストして道を探す場合は、近辺のみではなく、むしろ広い視野で周囲全体・遠方を透かして、じっくり見渡せ」、「感でトレールが見つけられる様になるのが理想的だろう」と。 これは羽生さんが言う正に『大局観』と『直観』ということだろう。 さて、山行回数340回になった現在の吾はどうだろうか。 この回数で得た経験から吾の行動パターンは洗練され、小脳や大脳基底核に至る迄蓄積されたものになっているのだろうか・・・・・。 以前は慌て者よろしく、よくルートミスやロストすることが確かに多かった。最近、普通の登山においてはそれはほとんど無くなった。・・・・して見ると山に関する行動パターンがある程度洗練され、体得できていると言えるのかも知れない。そう思って自分を信じることにしている。 (畦ケ丸 山行記録から抜粋)08.03.01) |
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