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登山道がなく、残雪期にしか登れない山だけはパワゾーン(PZ)のガイド付き山行でやることにしている。その他、リスクの高い、いわゆる「本格的な冬山」(厳冬期にやる2500メータ以上の山)は、YFCリーダのもとで実施することにしてきた。 YFCでの雪山山行は一種のバロメータ的な山行であり、これでは余り感じたことはないが、PZでのガイド付き山行では、最近、やり終えた後に、妙に引っ掛かるものが残る。それは欲求不満の様な、山の楽しみの一部を奪われた様な、そんな妙な感情である。 確かに信頼できるガイドが付いていれば、外的な条件さえ良ければまず間違いなく安全に、無事に登頂できる。 グループの中に入り、人の後に付いて行きさえすれば頂上へ導かれる。 そこで頂上に立てるという喜びそのものは、間違いなく満たされる。 しかし登山の喜び・楽しみは頂上におけるそれだけではない。アプローチのプロセスの中にも多々あるのだ。 最近、そのプロセスにおける楽しみの大部分が、ガイド付きの登山では欠落してしまう様に感じる様になった。 マップ上点線で表示される「熟達者向け」の山でも、ほとんどを単独行でやってきた自分としては、その度に難局面を自身一人で打開してきた。それと対峙した時の緊張感、張詰めた全身の神経と筋肉、そしてそれを乗り越えた時の無上の喜び・満足感を楽しんできた。 吾がクリヤーしてきた「熟達者向け」の山の難しさと、登山道のないPZ企画の山は、その難易度において相当な開きがあることは分かる。 しかし、そんな山だからこそ単独行でやったとしたら、ここではどう判断したのだろう、ここではどう対処したのだろう・・・、ソロで挑戦したら可能であっただろうか、とあれこれと思いを巡らせることになる。 人の後方についてあれこれ思考して見たところで、これはあくまでもシミュレーションに過ぎず、そこに真(生でリアルな)の楽しさは生まれない・・・・こう考えるのは傲慢であろうか。慢心なのだろうか。 リスク回避(より安全・無難な山行)で一部の楽しみを犠牲にするのか、リスク覚悟(不安の多い・リスキィな山行)でフルに楽しむのか(全く逆の悲劇になる可能性もあるのだが)、いずれにしても登山者の経験と技量、そしてその人が山に何を求めるのかによって違ってくるのだろう。 ガイド付き山行の後に、妙に引っ掛かるもの・妙に欲求不満の感情が残る現在の吾は、後者を選択する部類の登山者であるに違いない。 (男鹿岳 山行記録から抜粋)08.4.17) |
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