『遺品のストック発見!』
7月23日、梅雨も上がり登山日和が続く予想のもと、気に掛っていたSKさんの弔い登山をSZ会の2人のメンバーと共に実行することにした。3泊4日の山旅である。
上高地から槍沢ロッジに宿泊の後、大曲から水俣乗越に出て東鎌尾根を登りつめて槍ヶ岳山荘で2泊目。
更に大喰岳・中岳経由で彼の遭難現場である南岳直下に向かった。気温は8℃、風は5-6mで手袋・ウインドブレーカーを着けての尾根歩きである。この尾根の西側にはもう雪渓は見られないが、東側には多くの雪渓が点在し、濃い緑と白のコントラストが美しい。前方には穂高連峰始め、笠ケ岳・常念岳なども遠望できる、そんな風景の中のトレッキングである。
やがて天狗原分岐に到着すると、俄然弔い登山のモードに切り替わった。遭難したSKさんの最後の写真を頼りに、南岳に向かう。既に遭難したエリヤの目星は付けてある。2800mになると西側の斜面がそれらしくなってくる。・・・右から流れ落ちる3本の稜線と左から流れ落ちる1本の稜線の交点、そしてこんもりと盛り上がった草む
ら・・・。この辺りに間違いなしと確信する。
標高2900mの斜面を南側に向けて捜査を始める。探し始めて7-8分経った頃、目の前にストックを発見!!8時40分だった。
発見した瞬間、「白崎さん!ここだったのかー」と両手を地面に付け、感無量のうちに拝むようにして1本目のストックを拾い上げた。周囲を見回すと、頭上30メータ程の所にもう1本のストックが見えた。その現場状況の写真を数枚に収め、1歩毎に足元の岩が崩れる様なガレバを慎重に登り、2本目を回収した。見上げれば稜線まではあと百メータ程である。
ストックの発見状況から見て、やはりダブルストック歩行中の滑落と考えられる。そしてそこから動けなくなった何らかの原因(骨折等)があったのではないかと想像する。
その他のメガネ・時計・ピッケル等は周辺に見当たらない。小物はガレた岩場の間に落ち込んでしまったのだろうし、ピッケルはその先の急勾配を滑り落ちてしまったのだろうか。
遺留品の捜索を諦めて祭壇作りにかかる。現場は足場が崩れ、とてもではないが祭壇を作れる様な状況ではない。そこで南側50メータ程の所に、ここなら融雪に祭壇が流される心配はなさそうだという岩場にそれを作ることにした。その向きは出来るだけ彼が好きだった槍ヶ岳と正対する様にした。
祭壇には持参した造花を2本の花瓶にさし、『好きな山の懐に抱かれて、SK君よ、安らかに眠れ 岳友一同より 平成24年7月』の札と線香入れ・線香等を設置し、彼のストック2本を両サイドに置いて出来上った。そしてIgさんが持参してくれた供物の水や果物・菓子類を手向けた。
それらしくなった祭壇を前に、各人が合掌して慰霊の行事を終了し、感慨も新たにその場を後にした。
気に掛っていた行事を終えてほっとして天狗原分岐に戻ったのが、9時半過ぎであった。
その分岐への下り道では、ザックに収めた彼のストックが、ストックの重さ以上に何故かずしりと重く感じられた。
「慰霊後の 友のストック 背に重し」
現場の状況写真や慰霊祭の様子の写真をプリントし、ストックと共に夫人には近々持参・報告する積りである。
(槍ヶ岳山行記録(2012.7.27)から抜粋)
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