『午後の頂上』
山は早立ち、早着きが鉄則だ。一泊して翌朝の登山の場合は、大体は日の出前に出発してしまうのが吾の登山スタイルとなっている。従って頂上に着くのも概ねその日の一番最初の登頂者になることが多い。
早朝の、しかも日の出前後の頂上は実にいい。凛とした朝の空気が気持ち良く、体に染み通って行くようで、それだけでも心身が清められる思いがする。
視界も空間の密度?や水蒸気の少なさ、そして夜来の山間の落ち着きから、実に遠くまで眺望が効き、周囲の峰々が朝日に輝く姿など何時間見ていても飽きない。山をやっていて本当に良かったと実感する瞬間だ。だからこそ、単に安全確保のための余裕のある山での行動を鉄則にすることだけからではなしに、登山者自ら好んで早立ちするのだろう。
日帰りで、しかも遠いところの山の場合は、登り始めるまでに時間がかかり、どうしても遅くの登頂にならざるを得ない。登り始める頃には幾組もの下山者に出会うことになる。頂上に着く頃には、午前中の登山者は既に皆下山してしまっており、頂上は嵐?の後の静けさといった雰囲気を保っている。
しかし午後ともなると眺望などはまず望めそうもない。雲やガスが出て見通しは悪くなるばかりだ。奥大日岳がそうだったし、最近では荒島岳がそうだった。今回の浅間隠山もそうだ。
それでも山の楽しみ方の枠をもう少し広げると、午後の山もまたいい風情があるものだ。6月ともなると既に頂上はむっとするほどの蒸し暑さである。
地面が完全に焼けている。それでも日陰に入れば頂を過ぎる風が心地よく、何時までもそんな中に身を委ねていたいと感じる。それに何といっても慌しさがない。のんびりとした空気が漂っている。
「夏の暑い盛りの昼寝」そんな雰囲気がいいのだ。さしずめ山での「トカゲ」を決め込むのもやっぱり午後の山に限るのだろう。
空気や辺りの雰囲気だけではなしに、草花もどこか朝の活発な働きを停止させて、一息いれている感じでだらりと張りがない。全てが弛緩していてのんびりムードだ。自分もそれに同化してゆったりしてしまう。
言わば早朝の頂上は「張り詰めた静かさ」に良さがあり、午後の頂上には「ゆったりした穏やかさ」に良さがあるなと感じている。
これからもせいぜいそれらを楽しむように心掛けたいものだ。
(浅間隠山登山」(単独行)の記録から抜粋(2003年6月21日))
早朝の、しかも日の出前後の頂上は実にいい。凛とした朝の空気が気持ち良く、体に染み通って行くようで、それだけでも心身が清められる思いがする。
視界も空間の密度?や水蒸気の少なさ、そして夜来の山間の落ち着きから、実に遠くまで眺望が効き、周囲の峰々が朝日に輝く姿など何時間見ていても飽きない。山をやっていて本当に良かったと実感する瞬間だ。だからこそ、単に安全確保のための余裕のある山での行動を鉄則にすることだけからではなしに、登山者自ら好んで早立ちするのだろう。
日帰りで、しかも遠いところの山の場合は、登り始めるまでに時間がかかり、どうしても遅くの登頂にならざるを得ない。登り始める頃には幾組もの下山者に出会うことになる。頂上に着く頃には、午前中の登山者は既に皆下山してしまっており、頂上は嵐?の後の静けさといった雰囲気を保っている。
しかし午後ともなると眺望などはまず望めそうもない。雲やガスが出て見通しは悪くなるばかりだ。奥大日岳がそうだったし、最近では荒島岳がそうだった。今回の浅間隠山もそうだ。
それでも山の楽しみ方の枠をもう少し広げると、午後の山もまたいい風情があるものだ。6月ともなると既に頂上はむっとするほどの蒸し暑さである。
地面が完全に焼けている。それでも日陰に入れば頂を過ぎる風が心地よく、何時までもそんな中に身を委ねていたいと感じる。それに何といっても慌しさがない。のんびりとした空気が漂っている。
「夏の暑い盛りの昼寝」そんな雰囲気がいいのだ。さしずめ山での「トカゲ」を決め込むのもやっぱり午後の山に限るのだろう。
空気や辺りの雰囲気だけではなしに、草花もどこか朝の活発な働きを停止させて、一息いれている感じでだらりと張りがない。全てが弛緩していてのんびりムードだ。自分もそれに同化してゆったりしてしまう。
言わば早朝の頂上は「張り詰めた静かさ」に良さがあり、午後の頂上には「ゆったりした穏やかさ」に良さがあるなと感じている。
これからもせいぜいそれらを楽しむように心掛けたいものだ。
(浅間隠山登山」(単独行)の記録から抜粋(2003年6月21日))
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