『アサヨ峰・8年前の思い出』
今回の地蔵岳経由高嶺への山行中、間近にアサヨ峰を見た時、8年前のある事を思い出した。それは鋸岳へのガイド山行で一緒だった郡山のMさんのことである。
角兵衛沢のテン場に2人用テントを張って幕営した時の相方である。年齢は同年代だったから当時65-6歳だっただろうか。テントの張り方も知らない風であり、あまり山慣れした人物ではないなと当初は感じていた。
聞けば成る程、山を始めてまだ3年だと言っていた。
ところが、である。既に3百名山をあと数座残すのみだというから驚いた。日本百名山は登山を始めて175日間で完登してしまったと言う。前年の山行日数が160日で、山行回数が60回だったとのこと。
(1回の山行日数が平均約3日間・・・長期間山に入るパターンだ)
日本百名山完登の最短日数は当時で確か148日だったと記憶しているが、その記録に迫る記録であり銀か銅メダルの表彰もんだ。
3年で3百名山ということは、百名山完登と同じペースでその後の2百・3百名山もやってしまったということだ。しかも難しいと言われていた山(野伏・猿ケ馬場・鋸等)以外は、ほとんど自家用車・公共交通機関を使っての単独行だという。
長い時には日に車で700キロも移動したらしい。この時も家を出てからもう2週間にもなるらしく、既に霞沢・有明・烏帽子・野口五郎・蓮華・針ノ木・鋸・アサヨをやり終え、ばったりアサヨ峰の途中で再会した時も、明日は鉢盛で、明後日は北・農鳥をやると言っていた。
日本3百名山の他にも、信州百・山梨百や各県の名山を片っ端から登っているとも言っていた。その早さ/速さ、回数、山の数、時間・資金の豊富さ、そしてその体力(脚力)、バイタリティ・・・何を採っても桁外れの信じがたい様な人物だった。
さて、8年後の現在、彼は今でも達者で山をせっせとやっているのだろうか、山を楽しんでいるのだろうか・・・。そう祈りたい。
当時、強烈なインパクトのあった人物だっただけに、アサヨ峰や周囲の名峰を眺望しつつ、懐かしく彼のことを思い出したことだった。
そのスタイルは別にしても、思い出すだけでも刺激的なMさんではあった。
「我は勇みて行かん 道は辛く厳しく 体は疲れ果つるとも 遠き頂きをめざして 我は歩み続けん」
『ラ・マンチャの男』 (「見果てぬ夢」の一節を捩(もじ)って)
(高嶺山行記録(2012.10.21)から抜粋)
角兵衛沢のテン場に2人用テントを張って幕営した時の相方である。年齢は同年代だったから当時65-6歳だっただろうか。テントの張り方も知らない風であり、あまり山慣れした人物ではないなと当初は感じていた。
聞けば成る程、山を始めてまだ3年だと言っていた。
ところが、である。既に3百名山をあと数座残すのみだというから驚いた。日本百名山は登山を始めて175日間で完登してしまったと言う。前年の山行日数が160日で、山行回数が60回だったとのこと。
(1回の山行日数が平均約3日間・・・長期間山に入るパターンだ)
日本百名山完登の最短日数は当時で確か148日だったと記憶しているが、その記録に迫る記録であり銀か銅メダルの表彰もんだ。
3年で3百名山ということは、百名山完登と同じペースでその後の2百・3百名山もやってしまったということだ。しかも難しいと言われていた山(野伏・猿ケ馬場・鋸等)以外は、ほとんど自家用車・公共交通機関を使っての単独行だという。
長い時には日に車で700キロも移動したらしい。この時も家を出てからもう2週間にもなるらしく、既に霞沢・有明・烏帽子・野口五郎・蓮華・針ノ木・鋸・アサヨをやり終え、ばったりアサヨ峰の途中で再会した時も、明日は鉢盛で、明後日は北・農鳥をやると言っていた。
日本3百名山の他にも、信州百・山梨百や各県の名山を片っ端から登っているとも言っていた。その早さ/速さ、回数、山の数、時間・資金の豊富さ、そしてその体力(脚力)、バイタリティ・・・何を採っても桁外れの信じがたい様な人物だった。
さて、8年後の現在、彼は今でも達者で山をせっせとやっているのだろうか、山を楽しんでいるのだろうか・・・。そう祈りたい。
当時、強烈なインパクトのあった人物だっただけに、アサヨ峰や周囲の名峰を眺望しつつ、懐かしく彼のことを思い出したことだった。
そのスタイルは別にしても、思い出すだけでも刺激的なMさんではあった。
「我は勇みて行かん 道は辛く厳しく 体は疲れ果つるとも 遠き頂きをめざして 我は歩み続けん」
『ラ・マンチャの男』 (「見果てぬ夢」の一節を捩(もじ)って)
(高嶺山行記録(2012.10.21)から抜粋)
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